5月5日というと端午の節句ですよね。
端午の節句はこどもの日としても知られています。
最近ではこどもの日の方が浸透しているかもしれませんね。
私も5月5日はなんの日?と聞かれたらこどもの日と答えますし。
子供たちにとっても嬉しい日ですよね。
端午の節句といいますがどうして端午の節句と言われているのかご存知でしょうか。
端午の節句の由来について調べてみました。
端午の節句の由来を簡単に説明しますね。
端午の節句の兜や鎧や鯉のぼりを飾る理由についても紹介します。
端午の節句の由来を幼稚園の子供にもわかるように伝えられるかもしれません。
端午の節句の由来を簡単に説明
端午の節句というと5月5日ですよね。
端午の節句はこどもの日としても知られています。
兜に鎧を飾ったり鯉のぼりを飾ったりする家庭も多いでしょう。
私が子供の時も兜と鎧を飾りました。
子供心にもなんかカッコいいなと思っていた記憶があります。
いまでも見るとカッコいいですしね。
鯉のぼりは飾った記憶がないんですよね。
小さめの鯉のぼりぐらいでした。
ですので大きな鯉のぼりが飾ってある家庭が少しうらやましかったです。
最近ふと思うことがありました。
端午の節句っていうけど由来ってなんだろうって思ったんです。
言葉だけは以前から知っていましたが端午の節句の由来を知らなかったんです。
結構端午の節句の由来を知らない人も多いのではないでしょうか。
おそらく私の周りの人に聞いてもちゃんと答えられる人は少ないでしょう。
子供に端午の節句ってなに?と聞かれて答えられないのもちょっと恥ずかしいですしね。
そこで端午の節句の由来を調べてみました。
できるだけ簡単に端午の節句の由来を紹介します。
まず、端午の節句ってどんな意味があるのかですね。
端午の節句は男子の健やかな成長を祈願し行う行事です。
なるほど、だから端午の節句はこどもの日なんですね。
しかもこどもの日は男の子がメインですからね。
健康に育ってくださいねという意味が込められた行事のようです。
端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれます。
菖蒲というといい匂いがする紫色の可愛らしい花ですよね。
ちょうど端午の節句の時期と菖蒲が綺麗に咲く時期が重なるため菖蒲の節句とも言われます。
菖蒲は昔から健康を保ち邪気を払うと言われていました。
そのため菖蒲湯だったり枕元に菖蒲をおいて寝るなどをしたようです。
端午の節句の意味がわかったので由来の話になります。
端午は元々中国から日本に伝わってきたものです。
端午の節句の由来はその言葉に隠されていました。
端午の「端」は物の「はしっこ」で最初という意味があります。
端午の「午」は十二支の午です。
十二支の午は旧暦では5月の事を指します。
端午は5月の最初の午の日を節句として祝っていました。
端午の「午」→「五」→「5」となり端午の節句は5月5日になったとされています。
これが端午の節句の由来となります。
個人的には結構意外でした。
途中まではなるほどーと思っていたのですが5月5日になったのは「午」という音からだったんですね。
午の日だと毎年日付が変わってしまうので5月5日に固定された方がわかりやすいですね。
実は端午の節句の元々女性のための行事だったんです。
5月というと田植えの時期でもあります。
田植えは1年の中でも最も重要な事柄でした。
稲作が日本では中心的でしたからね。
田植えをするのは女性でした。
田植えをする前に女性たちは菖蒲などで身を清める儀式をしていたようです。
この儀式は五月忌み(さつきいみ)と言われていました。
中国から伝わってきた端午と日本の五月忌みの儀式が合わさって現在の端午の節句になったと言われています。
元々は女性の儀式だったとは意外ですよね。
では端午の節句は元々女性のための行事だったのになぜ男の子の行事になったのかです。
ここも疑問が出てくるところです。
理由は時代背景にありました。
日本は徐々に武家社会となっていきます。
男性が中心になっていったので端午の節句も男の子の行事と変わっていったんです。
そのため端午の節句には兜や鎧を飾るようになったと言われています。
そういえば端午の節句には兜や鎧と一緒に弓矢も飾られますよね。
これも流鏑馬などを端午の節句に行うようになったからだとか。
端午の節句の由来を調べてみましたがかなり複雑なようです。
端午の節句の由来を簡単に説明するようにまとめておきます。
- 端午は中国から伝わってきた
- 端午の節句は「端」の最初という意味と「午」から5月最初の午の日だった
- 端午の「午」の音が五と同じため5月5日が端午の節句となった
- 日本では元々女性の行事で田植えの前に身を清める儀式である「五月忌み」があった
- 中国から伝わった「端午」と「五月忌み」が合わさって現在の端午の節句になった
- 武士が台頭してきたため端午の節句は男の子の行事になった
端午の節句に兜と鎧を飾る理由
端午の節句には内飾りと呼ばれる兜や鎧を飾りますよね。
子供ながらにカッコいいなと思っていた記憶があります。
いまでも兜とか鎧を見るとワクワクしますしね。
端午の節句に兜や鎧を飾るのにも理由があります。
端午の節句の兜や鎧には男の子から病気や怪我や事故などの災いから守るという意味があります。
兜や鎧って武士が身につけるものですよね。
武士もなぜ兜や鎧を身に着けたかというと自分の身を守るためです。
そのため端午の節句の兜や鎧も男の子を守るという意味があるようです。
元々は江戸時代に武士の間で兜や鎧を端午の節句に飾るのが流行ったとされています。
その後に庶民にも徐々に広まっていって現在の姿になったようです。
江戸時代から続く風習が現在も残っているというのはいいものですよね。
なんで兜や鎧を飾るのだろうと思っていたのですが子供のことを思ってのことです。
こういう風習は次の世代にも残していきたいですね。
端午の節句に鯉のぼりを飾る理由とは
端午の節句に鯉のぼりを飾る家庭もありますよね。
大きな鯉のぼりだとなかなか飾ることができなくても小さめの鯉のぼりがありますしね。
私が子供の時も大きい鯉のぼりは飾れませんでしたが小さな鯉のぼりは飾っていました。
端午の節句に鯉のぼりを飾るのにも理由があります。
端午の節句の鯉のぼりを飾る理由は苦難を乗り越えて立派に育ってほしいという願いからです。
でもなぜ鯉からこのような意味になったのでしょうか。
ちょっと不思議ですよね。
中国では黄河の急流を多くの魚が登ろうとしたけど鯉だけが登りきって竜になったという話があります。
このことから鯉の滝登りが立身出世の象徴となりました。
江戸時代の武家でも鯉の滝登りになぞり男の子が生まれた際には立派になってほしいという願いでのぼりを飾ったようです。
武家から徐々に庶民に広まっていって現在の鯉のぼりになっていきました。
端午の節句に鯉のぼりを飾るのも男の子のための理由があるんですね。
ちなみに中国の話しから登竜門という言葉もできたようです。
成功するためには難関があるよーということですね。
男の子にはこの難関を突破して立派になってほしいという意味も込められているということですね。
幼稚園の子供にもわかる端午の節句
端午の節句の由来を簡単に説明してみましたが子供に全てを伝えても理解できないでしょう。
そこで幼稚園の子供でもわかる端午の節句の説明を簡単にしてみます。
子供にわかるように説明するのはあまり歴史的な部分はいいのかなと思います。
歴史部分はもう少し大きくなって興味が湧いたらでいいでしょう。
もしくはもっと聞かせてほしいと言われたら説明する感じでいいのではないでしょうか。
幼稚園の子供でもわかる端午の節句の簡単な説明は以下です。
- 端午の節句は男の子が健康に成長するのを願う日であること
- 兜と鎧の飾りは体や健康を守るためであること
- 鯉のぼりは竜になった鯉のように立派に成長してほしいこと
子供に端午の節句を簡単に説明する際はこれらを伝えればいいのかなと思います。
あまり難しい話をしても伝わらなかったりしますからね。
上記3点を伝えれば子供もなんとなく端午の節句の意味がわかるかなと思います。
まとめ
端午の節句の由来を簡単に説明してみました。
簡単に説明しようと思ったのですが意外に複雑な感じでしたね。
箇条書きで簡単にまとめてみたので参考にしていただけたらです。
端午の節句の兜や鎧や鯉のぼりを飾る意味についても紹介しました。
全て男の子のために飾ります。
健やかに育ってほしいという願いが込められている飾りですね。
いままでは端午の節句の意味とか由来とかは考えてもなかったんですけどね。
調べてみるときちんと由来や意味があるのがわかりました。
周りの人も端午の節句の由来とは知っている人は少ないのではないでしょうか。
幼稚園の子供に端午の節句を簡単に説明する際は歴史とかはいらないかなと思います。
男の子が健康に育つように願う行事だよーっていうことを伝えられたらいいのではないでしょうか。
もっと知りたいとなった時は詳しく説明しましょう。